犯罪を正しく恐れるために
★★★★★
2008-07-31
法務省出身で『犯罪白書』執筆経験のある1960年生まれの刑事政策・犯罪学研究者と、1968年生まれの近代日本思想・文化史研究者が、2006年に刊行した本。本書の主張は、第一に近年の犯罪の認知件数の急増、検挙率の急減は警察の対応方針の転換(潜在事件の発掘)に起因するもので、社会変化によるものではないこと、第二にむしろ統計上他殺による死者数、犯罪被害率は減少傾向にあり(高度成長期に比べれば、暴力犯罪は顕著に減少)、少年非行は減少し高齢化しつつあり、無期刑は運用上終身刑化していること、第三にしたがって治安は悪化していないにもかかわらず、犯罪不安が高まっている(体感治安の悪化)のは、犯罪被害者の再発見を契機とした、マスコミ報道と行政の対応の変化によるところが大きく、次第に犯罪者を理解しようとする社会の志向は薄れ、むしろ排除すべき異常者として厳罰化の対象とする方向に転換していること、第四にしたがって厳罰化はかえって犯罪不安を高め、犯罪のリスクを高める結果にしかならないこと、第五に警察と民間の協力による予防的な地域防犯活動は、客観的な根拠無き治安悪化神話と、保守的なノスタルジーでしかないコミュニティ崩壊言説と、根拠薄弱な犯罪機会論・割れ窓理論に依拠することが多く、かえって子どもに声をかけたら不審者扱いされるという、際限なき相互不信社会を創り出しつつあること、第六に不審者の概念が曖昧なままでの監視強化は、結局高齢者や障害者、在日外国人、失業者等を刑務所へ追いやり、過剰収容をもたらしたこと(刑務所の福祉施設化)、第七に犯罪低減や犯罪被害者支援自体は強化しつつも、例外的な事件を一般化せずに、またセキュリティの防犯効果を検証し、犯罪についての正確な情報提供により、犯罪不安の低減にも取り組む必要があることである。冷静なデータに基づき、犯罪を正しく恐れるために重要な本。
安全神話崩壊(実はウソ)の裏で、排除は進んでいないか
★★★★★
2007-12-25
この本の内容
1.統計上、日本の犯罪は凶悪化されていないし、たとえば、10歳未満の子どもが犯罪の被害に遭う可能性も低く、けっして治安は悪化していない。もっぱら、マスメディアが作り上げた神話である。
2.ただ、神話にはそれなりの背景がある。それは、理解不能な犯罪があったり、(それ自体は正当だが)犯罪被害者の方の権利意識の向上があったりしたことである。しかし、その副作用として、弱者排除が進んでいないだろうか。
3.実際刑務所に勤めていた経験がある著者の1人の浜井さんによると、刑務所の作業に耐えられない受刑者が多い(なぜか禁固刑を原則とすべしという提言がないのが残念)ところからわかるように、2で指摘した懸念は現実のようだ。死刑判決も多く、無期懲役刑も終身刑化しており(私は知らなかった)、どんどん息苦しい社会になりつつあるようだ(。このような現実をより良くするには、治安向上を目指すよりも、福祉・教育の充実を検討すべきである)。
評価
私が感じていたことが結構よく書かれていること、バランスをとろうと努力していること(最近は、(それ自体は正当だが)被害者の見方に偏している報道などが多い。この本では、その副作用、以前は考慮されていた犯罪の動機探求など、問題解決につなげようとする姿勢を感じる)、刑事政策学の入門書としても出来が良いと思うこと(データの読み方、興味喚起、など)、以上3点より、星5つとする。
犯罪報道が歪んでいるだけではないのかもしれない。
★★★★★
2007-12-04
もはや凶悪犯罪が減少しているという事実は社会学における常識となっているが、本書はその「治安悪化神話」生成のプロセスにおけるメディアの役割を「鉄の四重奏」を用いて分析しており、その点が特筆に値する。
しかも、「犯罪被害者の発見」とも称されるような最近のメディアの報道や社会のあり方が、「犯罪不安」を生み出しているということは、読者にジレンマを感じさせ、思考を促す。
多くのメディア関係者や官僚の方が本書に目を通し、今一度自分の犯罪に対する認識を見直していただきたいと願う。
体感治安の煽りを受けた「不審者狩り」が,歪んだ日本社会の捌け口になる前に。
★★★★☆
2007-10-04
本書は決して,過度に「分かりやすい」マスコミの
言葉遣いを戒めている訳ではないのだろうと思います。
仮にマスコミが,人口動態統計,犯罪被害調査の数字
を使って体感治安が幻想だったと発表し始めたところ
で,浜井が危惧する犯罪不安社会が消えてなくなると
は,およそ考えがたいように思えるからです。
入所拒否がありえないという唯一の施設,刑務所か
ら社会を見詰めてきた浜井にとって,本書で指摘され
ているような事実を知ることは,犯罪白書を巧みに利
用して職域を確保しつつある警察に目を光らせるため
でも,それを鵜呑みにして無用な犯罪不安を引き起こ
してきたマスコミを非難するためでもないはずです。
多数派と少数派,普通の人と普通でない人,善良な市
民と犯罪者,コミュニティのメンバーと不審者,この
ようなありふれた二分法が持つ意味を,僕たちは再考
しなければならないのだろうと思います。
一方の芹沢は,文化史からアプローチしながら,大
凡,浜井と同じ方向性の議論を展開しているように見
えます。ただ,特定少数の事件だけを引用,分析して
いる関係で,過不足が多く,全体として粗雑,という
印象は否めません。2人の著者の間では共有できるも
のが沢山あるのかも知れませんが,読者から見る限り,
文章のトーンだけでなく,基本的な問題意識の点で,
既にかなりの温度差があるようにも思えます。
浜井を1,4章,芹沢を2,3章とした構成にどの
ような狙いがあったのか,芹沢のトーンが不釣合いな
違和感を与えてしまっている点を差し引いて,星4つ
に止めます。
データをしっかり把握して冷静に判断しよう
★★★★☆
2007-09-23
日本の安全神話の崩壊が幻想であり厳罰化と監視強化が進むことの問題点を指摘する。浜田氏が統計処理により、芹沢氏がマスコミなどの論調の推移をベースにしてして。
殺人そのものは確かに増えてない。一方、検挙率は明らかに下がっているが、それは、犯罪の認識率が上がっているからだという。そして、加害者への同情時代からから被害者感情への共感から犯罪者への切捨ての時代が始まっているととく。
そして、カメラなどによる監視強化や、罰則の強化の危険性を指摘する。そして地域社会コミュニティの空洞化対策の不毛と危険を指摘する。
ここで書かれていることは、明らかに過剰であり、殺人数が増えていないからといって、犯罪のパターンが変わっていないことはないのであり、地域社会対策が要らないというのは明らかに違うだろう。いくつかの対策は不可欠である。
しかし、安全性への不安が過剰であるのも確かだろう。これは、個人情報漏洩への反応も同様であり、個人情報を守るためにもっと大切なものをいっぱい失っているような気がする。幼稚園の運動会で写真を写せないなどというのは明らかにおかしい。
他人の個人情報は大切にしなければならないが、自分の個人情報にはもっともっとおおらかであるべきだと思っている。個人情報を失っても、もっとすばらしいコミュニケーションが確実にあると思っている。今、社会がどんどんちじんで行くのが怖い。

